2月最後の日。東福寺の早咲き桜も

もう満開。空気はまだ冷たいから、あんまり外には出ない。

 

いろいろ忙しく、目が回りそう。

 

獨協の絵画部の指導も、後任に任せて、

これでひとつ楽になった。

 

少しゆっくり、したいね・・・。

                2/29

 


 

2024年となりました。

皆様、本年も宜しくお願い致します。

 

天気の良い日が昨年から続けているのはいいのだけど、

年始めから、能登の地震と羽田の事故。

天変地異は避けようがない、が人災は困ったもの。

 

 

 

今日1/6は草加市の知人に紹介されて

馬頭琴の演奏会にスタッフのみんなと

行った。

 

新春を味わえる、良き演奏でした。


12月24日でミュゼ環の一年が終わった。

 

今年は宇都宮での大きな個展、

 

自分ではこれが最後の大個展と思っていますが、

その後、あの猛暑で体調を崩して、

なんとか新制作の作品を発表出来たけど、

その後また体調が悪くなり、秋になんとかかんとか生還しました。

 

新制作の会場に古河機械金属の会長さんが来てくれて、ありがたいです。

そして、NHKでも放送されたせいか、

多くの足尾出身の方々や遠方からのお客様がいらして下さった。

 これもありがたい、なん十年も描いてきて、これでいいのかなあと思いつつのこの年月。

 

皆さんありがとうございました。

 

来年もどうぞよろしくお願い致します!

                                  12/24 

 

 


 

11/17、NHK宇都宮「とちスペ」で私の事が放送された。

先日のミュゼでの取材の様子は最後にちょっとだけ出てた。

長い時間の取材だったけど、編集は大変だね。

 

9/28に国立新美術館の新制作展にいらしてくれた古河機械工業(株)

の宮川会長と久野氏を取材した映像も編集されていた。

この時は体調が悪くて会場に行けなかったのがとても残念だ。

 

でもこれでなんとか一段落。気が付くと、もう年末が目の前。

師走、せわしいね。 

11/17の放送は埼玉では放送されないので、

パソコンでNHKプラスから見る事ができた。

ちょうどこの時、川口からお二人のお客様がお見えになられて、

   一緒に見れて良かった。  

                                      11/18   


 

23日はNHKの記者、ディレクター、カメラマンの方々が、

朝早くから宇都宮を出て、ミュゼに来られた。

 

「今年の作品はどのような思いがありますか?」と聞かれて、

まず、時間が足りなかった、体調がすぐれないから、

心と体が付いていかなかった。

 

作品の中の建物や山は描き足りない。

もっともっと描かないと、あの建物の中での人々の声が聞こえない。

 

その声が聴ければ、もっと描き込められるのに。

 

私はいつも、その声に呼ばれて描く場所を決めるのだよ。

 

この選鉱所の場所は本町からは離れている場所。

足尾の公害から免れて、緑の残っている場所だ。

 

木々は切られても、自然の造形物の山の形は残るけど、

人が営んできた建物は壊したら、もうその営みも消える。

 

歴史が消えてしまう。先人の残したものを尊敬したほうがいいんだよ。

                                     10/23


21日には足尾高校同窓会の幹事の方々4人が

お見えになった。

さいたま市、葛飾区、町田市、宇都宮市、とそれぞれバラバラだけど、

遠くから。ありがとうございます。

いろいろなお話も聞けた。

皆さん、18才まで足尾にいて、現在は70代かな。

当時の足尾の生活は、水道、電気、ガス、全部タダ。

そんな生活をしていたそうだ。

 

とても熱心に作品をご覧になられていた。嬉しい事ですね。


 

この暑い暑い夏には少々バテ気味。なんでこんなに暑かったのだろう。

それでもなんとか仕上げました。

 

 

皆さん、暑い中六本木に来てくれてありがとう!

 

 

それから、今日はミュゼにいられなくて、お会い出来なかったけれど、

足尾高校ご出身の方が夫婦でいらして下さった。

とても興味深く展示作品や画集をご覧になられていて、

奥様のご出身地の地名をグーグルアースで探されていたけれど、

見つからなかったとのこと。足尾高校の場所も?だ。

 

当時と随分変わっているのだろう。

 

10/21には足尾高校の皆さんと待ち合わせて

またいらして下さるとの事。

お待ちしておりますよ!

 

                                  2023/10/6


やっとの事で新制作展の出品作品を仕上げた。

審査の日は去年と同じ台風直撃みたいだ。

どうしよう。

2023/9/7


9月だ。9/20から始まる新制作展。 台風の昨日は審査だった。

 

この夏は暑くて暑くて、制作をするのも一苦労。

個展のあと、なんだかとても疲れてしまった。

 

おまけにこの暑さ。 予定していたことがなんにも出来ない。

 

でもそんなことは言ってられない。

 

ギャラリーの中はまだまだ片付かない。

 

9/25に架け替えをしますから、 皆さん、いらしてくださいね。

                                      2023/9/9 


草加駅近くの「ふれあい小路」です。春は桜、6月はアジサイ!

先週、個展が終わって私は疲れましたー。

この金曜日になって、ようやく食べ物の味がわかるようになりました!

 

個展って、始める前、始まって、そして、終わって、

みんなの力をお借りしての、作業です、

この年齢では限界かも・・。

 

でも、本当に多くの方々に毎日来ていただいて、

初日、二日目はそんなに多くなかったのだけど、

栃木テレビやNHKの放送の後は一日100人は超える方々が来てくれましたよ。

 

特に足尾出身の皆さま、

足尾の小学校から、中学、そして足尾高校出身の、

50代、60代、70代の皆さま。

それぞれのお話を聞いていると、時代の移り変わりを

本当に感じて、思い出すことおおくて。

 

まだ、日足トンネルのない頃の峠越えのご苦労とか、

そして、

お友達から送ってきたポスターの写真の左上がライトの反射で

少しハレーションを起こしているのを、

煙突から出た煙と思われて、その絵を探しに来て

実際は煙が描かれてなかったのに少しがっかりされたりしたりして。

 

でもその煙がサイレンと共に立ち込めていた、

まさにそのものの風景だと、とても懐かしんでいましたねえ・・・

 

ただただ45年間描いてきただけで、

それだけですよ。

 

来てくれた皆さま、本当にありがとうございました。

                                2023/6/23 

 


いよいよ明後日は宇都宮に作品を送り、そして私も出発する。

今日まで、本当に忙しかった!!

 

体調を整えるための整体とか、病院とかも行くし、

ミュゼには草加市の関係者やNHKやらが取材に来るし、

スタッフとの打ち合わせも、今日が最後。

 

天気がとても不安定、でも今回の台風は

ちょっと反れたかな?

                                    2023/6/9


もう5月も半ば。

毎日毎日宇都宮展の準備に忙しい。

幸い、いろいろのメディアがとりあげてくれるようで、

ミュゼに取材に来てくれる、とか、足尾まで取材しに行ってくれるとか、

そんなにしてくれて、とてもありがたいと思いますよ。

 

ただただ、45年描き続けてきただけで、それだけなのに。

 

当日までに体調を整えなければ。頑張ります!!

                                 2023/5/19

 


連休前の今日は快適な晴!

資料館もすっかり五月の装い

                           2023/4/28


6月の宇都宮展でお世話になる栃木数か所にポスターやフライヤーや、

案内状のハガキを持ってご挨拶に行く。

 

宇都宮駅前のギャラリーインザブルーにも赴いたら、

とても親切に対応してくれて嬉しかった。ギャラリーの皆さま、ありがとうございます。

 

一日がかりの行程だったけど、なんだか力が湧いてきたようだ。 

                                  2023/4/21

 


今年は栃木県政150年、つまり、県として誕生して150年ってこと。そして、

足尾銅山閉山50年目。

こんな節目に再び宇都宮の産業文化センターで個展をするなんて、なかなかいい機会になった。

 

そして今、栃木県立美術館で、足尾を描いた作家、小口一郎の版画展を

開催しているので、さっそく見に行った。

 

油絵と版画、その木版画の作品の迫力と膨大な数に圧倒されちゃった。

とても見切れない、それぞれの作品に添えてある解説文なんて、全部は読み切れない。

 

小口の作品は社会的、政治的な切り口から見た足尾。私は私的で心情的な切り口での作品作り、

取り組み方は異なるけれど、とても興味深く見てきた。

 

            帰りに藤岡でラーメンも食べれて良かったよ!      3/25

 


2月3月は寒いせいか、記念館にいらっしゃられるお客様が少ない。

ちゃんと金土日と開けているんだけどね。

でもその間、6月から宇都宮で開催する個展の準備がとてもはかどった。

 

もうチラシも案内状も、パンフレットも出来上がって、これからその配送準備を行う。

 

なにしろ、足尾銅山閉山50年の節目。

足尾銅山の赤い夕焼けを見て感動して、足尾を45年間、描き続けて来たんだ。

バリバリ毎週通っていた頃は若かったね・・・。

もう体はガタが来てるけど、あの感動は今もなお、描き続ける原動力だよ。

                                   2023/4/15

 


東福寺

                                     2023/3/19 


草加だってね、とても歴史があるんだよ。

駅からここまでの旧日光街道だって、古いいい感じの家がいっぱいあって、

私は川を整備して、遊歩道にしてその雰囲気を残せば

とてもいい観光地になったと思うよ。

「とうふや」と言う旅館もあってね。

大川家というとても大きい立派な家もあって、そのうちには

明治天皇も泊まったといって、沢山の古い生活用品があったんだよね。

民族資料館レベルのさ。

そうゆう事知っている人、もうそんなにいないよ。

 

                                    2023/3/5


このところ、とても忙しい。

2/28 夜の9時から栃木テレビで私の事が

ニュースの中で放映されるので、その撮影が2/23にあった。

 

朝8時から芦尾に行って、絵を描く姿を撮影。寒かったよ。手が凍えるよ。

その後、草加に戻ってまた取材。

 

       疲れたよ。放送は数分だろうけど。なかなか大変。   2023/2/27

(良かったら、下記の記事を検索して読んでみてください)


今日はご近所さんが娘さんを連れてお見えになった。

あんなに小さかったのに、もう私より背が高い。

もうバイトをするような年になったんだなあ・・

 

節分の豆があったから、スタッフと食べた。残りは料理に使ったらいいよ、と言ったら、

この煎り豆は、噛んで食べるしかありません、だって。

                                    2023/2/5


2023年になった。

今年もけっこう忙しくなりそうだ。

うん、頑張ります!!


とうとう今年の展示も最後の日となった。

嬉しい事に、私が20代の時にとても親しくしていた方の

息子さんから連絡があって、わざわざ記念館に来てくれた。

なにしろ、幼稚園頃からのお付き合い。

お母さん達とお仲間だったから、その子供たちも一緒に遊んでいた、その中の一人。

最後に会ったのが、彼の結婚式かな?

 

あれからほぼ30年。

沢山の思いで話が出来て嬉しかった。

                                12/17


なんだかんだ言って、夏は秋の新制作の作品制作で終わり、

今日10/3はミュゼ環の第3期の入れ替え作業、

明日は、新制作の作品が帰って来るし、

疲れるなあ。

 

来週からは草加市展とか、いろいろな雑事に追われる・・・

でも何とか体調は維持しているから、ね。 

                              10/3

 


6月末の毎日30度超えの後、大雨、そしてこの暑さ!!!!!!

申し訳ないけれど、暑いので、一週間早めに夏休みに入ります。

 

秋の新制作の作品にも、取り掛からなければ!

 

では、皆さま、秋までご自愛ください。


 

 

 

 

3月27日

 

あっという間に

 

3月も終盤になりました

草加小の桜も咲き始め、小春日和。

 

今日は記念館で「琴の調べと絵画」という企画の日。

 

お琴の演奏には 喜多 恭子様 がいらして下さった。

はじめに、お三味線3曲  祇園小唄、 菜のは、 松尽くし

 

 次に、お琴 3曲    さくらさくら〈二つの変奏曲から〉

                    六段

                    楽

 

お琴の楽というのは、現代音楽のようだった。

喜多さんが、「ミュゼ環で演奏とお聞きしたときに真っ先にこの曲が頭に浮かびました」と言っていた、私のイメージだそうだ。

 

とても激しく、勢いがあり、しかも優しく、なんだか演奏がとても難しそうな曲だった。

 

なんだか嬉しかったね。

 

足尾で働いていた人たちの声が聞こえるような曲だった。

 

 

 

 

 

直木賞候補になった、

 

草加市生まれ、草加市在住の

作家、

須賀しのぶさんが来てくれた。

 

いつか、須賀さんの講演会も

企画したいね。

 

スタッフの皆さん、ご苦労様でした。

ありがとうございました。

 

 

            3月27日


あったかくなってきたね、

 

子供の頃、10才にならないころかな、このあたりは一面田んぼで菜の花やレンゲがいっぱいで、よく寝転んでいたよ、ずうっと、富士山から日光連山、筑波山まで見えてね。

 

そのうち、タケノコが生えてきたら、まだ、若いたけのこの白い皮で梅干しをつつんで、三角にしてね、チュウチュウ吸うんだ。遊びながら。たけのこなんて近所からもらうんだよ、

子供はみんなチュウチュウ吸ってた、吸ってるうちに白い皮が黒っぽくなってね。胃の薬なんだよ。暖かくなると、食べ物はすぐ腐っちゃうから、そうして胃を守ってたんだね。昔の知恵だ。

 

あの頃、弁当を持ってこれない子は結構いた。梅干し弁当なんて、いいほうだよ、持ってこれない子は、昼休み、どっかいっちゃうんだ。辛いからねェ。

 

農家は食えたんだ、食えなかったのは勤め人、今の、ハープ橋はレンガの橋でその向こうに大きなレンガ工場があって、そこの勤め人は貧しかった。そんな子達を、私の父親は小僧として雇ってたよ。

絣の着物を着て、下駄履きだ。靴なんて盗まれちゃう、そんな時代だったね。  3月19日

 


2022年

 

 

 

 

草加駅のそばに、ほんの短いけど、

ちょっと風情のある散歩道がある。

そこにもう桜がほころんでいる。

 

今日は北風がとても強くて寒かった。

 

でも日当たりのいい所には、

桜も春を感じているのだろうなあ。

 

草加小学校の桜はまだまだ固い蕾!!

 

 

 

 

             2月21日

 


新年あけました。

年明けから、オミクロンとか、トンガ噴火

とか、今朝は大分で地震、騒がしいね。

 

私はひたすら、健康に留意して過ごします。

 

日経に記事を掲載したいという連絡が新年早々あったと思ったら、

あっという間に記事になった。

 

お蔭様でいろいろな方々からお電話を頂いた。

 

記念館は21日から開ける予定だったが、

19日には記事を見て、戸塚と川口からそれぞれ来てくれた方々が、私が外出から戻ったら、入口の前で待っていました。寒いのに、大変申し訳ない!!!

 

戸塚の方は日産に勤めていて、昔足尾高校                         

        (東福寺 正面)        から 入社してきた部下がいてそれで、  足尾の事を知ったと仰っていた。

 

20日もまだ開けてないのだが、本庄からお見えになられた方がいた。

遠くからありがとうございます。

 

今日はその記事を見てくれた方がはるか横浜から来て頂いた、これまたありがとうございます。

 

奥様が草加出身という事ですが、曾お爺様が田中正造を支援していたという話をおばあ様から

幼いころ聞いていた、という事だ。

 

語り継ぐという事は大切だ。

                                  2022年1月23日



2021年


朝日新聞に春山さんとの記事が出たあとから、

結構問い合わせの電話が入ってきた。中には本を送って欲しいとか、

嬉しいような、恥ずかしいような・・・

 

今日は去年の朝日の記事を読んでいてくれた方がミュゼに行きたいと、来てくれた。

「先生の言葉にとても励まされています」と仰る!!

「先生の絵がこんなに大きいとは思いませんでした、来て良かった」

とも言ってくれてやっぱり嬉しいね。

 

瀬戸内寂聴の話になって、

あれだけの清濁併せ呑むような生き方をしてほぼ90年、

だからあの文章が書けるんだよ、世の中きれい事だけでは済まない、

あの時代の女性だから、あの生き方、大したもんだよ、殆どが

泣いて我慢していたんだろうから。と思う。

 

水俣の話にもなった。

水俣の患者たちが東京本社前でテントを張って座り込み抗議をした。

その当時の若者が原発の時、

経産省の前でテントを張って座り込みをしたのか?と聞かれた。

まあ、そうだろうね、そんな根性が、今の若者にはない。

 

それは語らないからだよ。公害も戦争も大人が子どもに、

家庭で、学校で、語らない、だから、知らない。

政治家も、子どもにそうゆう経験を語らない。

優先順位は、経済。

 

情けない。 

                             2020年12月19日


11月19日に、昔から大変お世話になっている中川十郎先生からのお勧めがあり、出版記念会を麹町のホテルで行った。なんと65人もの人が来てくれた、大したおもてなしも出来なかったけれど、若い獨協大学美術部の教え子達も来てくれて、嬉しかったねえ・・・。

 

足尾の歴史や鉱毒事件を描こうと思ってたわけではない。だって足尾の事はまるで知らなかったのだから。

 

何度も書いたり喋ったりしているけれど、初めて足尾に行った時、その景色を見て、これは何だろう、何なんだろう、という思いがすごくて、そして、足尾に行く度に、あちこちからここ描いて、ここも描いて、と呼ばれるから、そこを描いているうちに何十年もたっちゃった、って事。

 

だから、たいそうな事してないんだよ。でも今回、こんなに沢山の方々から継続を褒められ、健康に気をつけて描き続けてくれとエールが来たからには、はい、描き続けます!最後の浅古会長の閉会の言葉ではいろんな思いがジーンときたねえ。       (写真はトピックとインスタに)

11月19日     

 


2020年8月13日東京新聞WEBより

1981年10月 東京新聞

台風による冠水で膝まで水につかるサラリーマンたち

 

高度経済成長期に建てられ、「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた草加市の草加松原団地。

松原団地は1961〜64年に建設され、総戸数は5926戸。東京都内に通勤するサラリーマン家庭が主に入居した。近くには独協大も進出し、水田だった一帯は大きな発展を遂げた。

草加市ホームページより

昭和38年ごろの草加駅前の風景です。当時は、台風などの雨の後には、駅前がしばしば出水したため、電車が不通になったりもしました。
また、電車が止まると電車から下車させられ、周辺も出水していることから、帰路などに着くことができず途方にくれる姿も見られました。
現在は、治水整備され出水することもなくなり、商店なども増え当時に比べ大きく変わりました。
(写真提供・文:金子光孝さん)
注:写真は草加駅東口です。

19日の記念会の準備でここ2週間は翻弄されっぱなし。印刷物の準備やら、当日必要なものの手配とか、あれこれ全部やらなきゃ!!で、頭の中が一杯いっぱいだ。

 

でも何とか形になりそう。

 

思えば、子供の頃、ミュゼの前の材木屋の後ろ側から見る景色は、ずぅ~っと田んぼ。見渡す限り。そして、今東武線が走っている線路は勿論高架ではなくて地面の上。

 

その両側が用水路で、大雨が降ると、水が溢れて、どじょうやフナが道の上ではねているから、子どもは大喜び。バケツを持ってとんで行ったよ。

 

大雨だと、松原団地駅前は池みたいになってボートが出たし、草加駅前も水浸しだよ。松原団地は今では獨協大学駅となって、マンション群。見渡す限りの田んぼは見渡す限りのマンションだ。

 

松原団地が出来た頃、この辺は低いしもともと田んぼだから、水は出る。今の松原通りの道路も昔は川で綾瀬川に沿って走っていた。前の前の前の市長が松林を再現すると、若者達、今では老人だけど、が頑張って今の松林にしたんだ。

 

松原と煎餅、昔の人達が頑張って続けてきてくれたものが、今も私達の生活の中に生きている、先人の知恵や生き方を、大切にしたいね。

11月

 

 


今日は朝からとっておきのお客様。

女性3人、皆さんそれぞれの今の住所はバラバラなのに、

皆さん、足尾に住んでらしたという!!

 

皆さんのお父上が古河工業の社員で、子供の頃に転勤で足尾に来たという方がお二人。

もうお1人はおじいさまもお父様も古河の社員で、

ご本人も足尾生まれ。

 

私は足尾が草加よりも故郷という感覚だから、

同郷の方に会ったような嬉しさ!

 

私の知らない何十年も前の足尾の情景や生活の様子を話してくれて、

写真まで見せてくれて、とても楽しかった、

             皆さん、また来てください。           10月

 

 

 

 

スマホで

かつて住んでいたという

家の様子を

見せてくれた


 

去年、朝日新聞に掲載された記事が一冊の本になった。

その刊行記念会を10/15にミュゼで行った。

天気が悪いと言っていたのに、とてもいい晴れになって、

コロナも落ち着いて、30人も来てくれた!!

         でも準備でスタッフも、私もくたびれたよ・・・ 

(詳しくはトピックをご覧ください)

                                        10月   


研究者の大学院生がミュゼ環に来てくれた。 好青年だ。  

 

公害学習が3.11以降見直されるようになったという話。

とても大切で嬉しいと思う。

 

                  頑張れ! 若人             7月2日


突然、公害を研究する大学院生から連絡をもらい、

足尾を描いている私にインタビューがあった。

 

美術系ではなくて、学術関係からのオファーにびっくり。

 

なんでも、学生対象に公害に関する本を出したいとの事で、

       視点を「アートから見る公害」に置きたいそうだ。    6月12日


綾瀬川にかかるハープ橋

あれ、何時の間にか去年の個展から10か月もたってしまった。

あの個展の後、もうくたびれてくたびれて、コロナもちょっと収まっていたけど、本当にくたびれた。

去年の春から、秋から、今年の春まで、各団体展は出来たり、中止になったり、全く読めなくなった。

コロナのワクチン接種が始まり、でもまだまだだねえ。

 

ミュゼ環は毎週末ちゃんと開けていますよ。そして、

私は元気ですよ。皆さま、ご安心下さい!!               2021年6月27日


2020年


この夏、足尾に行って来ました。山が緑に映えて見えました。

これからは、明るい足尾を描きます。

足尾と結婚したつもりで、描き続けます。

(9/28個展ご挨拶から一部抜粋です)                   2020年9月28日


毎日毎日、準備で忙しくて、腰が痛くて、でも、もう明後日から。

今日は作品を運送業者がギャラリーから運び出した。

あー疲れた。明日は朝から飾りつけ。

業者の方々と評論家の方、宜しくお願いします。

私は座ってます・・・・・・。

                                   2020年9月26日


 

 

 

 

  東福寺の空

 

 秋を感じるね!

 

 

 

 

  2020年9月10日


 

 

   

 

    

        

 

 

 

        残暑お見舞い

        申し上げます

 


今日、まだ額装していない作品数点があるので、その作業を。

 

大きいから、なかなか大変だ。  8月末

数人がかりでの作業。

 

みんなの助けがなければ、やれない。

 

みんなに感謝ですよ!   8月末


コロナで延期になった銀座での個展も9/28からは実行する事にした。

いつまでも、延期は出来ない。

暑い暑い夏もその準備で忙しい。何百通もの案内状作成に追われていますよ。

 

コロナで、皆さん無理はしないで、それでも来てくれる事を祈って。  2020年8月


 

 

 

跡見学園で中・高と過ごした、あの頃に戻りたいねえ・・・

 

中学の時の音楽の先生に、「あなたの声は低くて太い」と言われて、

合唱が嫌いになった。

高校では、美術、書道、音楽と三択だった。当然音楽は除外!!

 

書道を選んだ、だって、お手本を真似して書いて、

墨を摺っていればいいし、摺りながら隣の子と三波春夫の歌とか歌って、

叱られてた!

 

廊下を走ると、叱られ、掃除の仕方が乱暴と叱られ、、、、

だって、廊下で生徒同士がすれ違う時に「ごきげんよう」という学校なんだよ。

 

同級生が東京農大に受かったとき、先生に彼女が報告したら、何と言ったと思う?

「そんな学校に跡見の生徒が行ってはいけません!」

 

でもね、しっかりと礼儀は教わった。

 

懐かしくて、楽しかったなあ・・・!

                                      2020年5月

 

 


4月は自粛で終わりました。

9月の新制作展も中止・・・・           

                                      2020年4月


この週末。

都内に行くなと埼玉知事も言っているけれど、

それはなかなか・・・・!

 

横浜のカルチャーに行くには、東京を通らなければ行けないよ。   

2020年3月


5月の個展、どうするか。

4/12まで自粛をしなければならないような毎日になって、

そればかり考えている。へたすると、連休まで縺れ込んで、

そうなると、もう5月。

 

しかし、様々な準備をしてきたから、ここで延期となると、これは大変だ。

 

でも、決断した。

9月に延期をする。

 

あちこちに連絡を取って、迷惑がかからないようにして、

段取りをしなければ。

2020年3月


 

足尾に行く。天気が良く、寒くなく、風もなく、とてもいい一日だった。

三川合流ダムの上流に徒歩で少し入る。5月のスケッチの為だけど、やはり足尾の空気を

肌で感じないと、ダメなんだ。

 

ここの空気を感じると、とても落ち着く。帰って来たという感じだよ。

 

三川とは、松木川、久蔵川、仁田元川の事でここで合流している。ダムには土砂が沢山詰まっていて、ダムというより、河川敷。そして、秋の大雨の影響か、河原には沢山の流木があった。

 

明日から猟解禁となっていて、いつもお出迎えをしてくれる、お猿さんや鹿にお目にかかれなかった。みんな猟の雰囲気を察して、どこかに隠れちゃったのかなあ。

 

熊も出るからね。熊撃ちのおじさんもいたね。                 2020年3/7 


ミュゼ環の入り口に祠がある。この祠は鈴木家ご先祖代々受け継がれているもの。私は毎日祠の扉を開けて、そして夕暮れには閉めて大事にしている。この祠の隣に木が生えていて、これが元気にもくもくと大きくなって、枝や葉っぱが祠の屋根にかかるんだよね。

そうすると、不思議な事に私の頭が痛くなる。

そこで枝を切ってもらった。もちろん、切る前に木にお神酒をあげてから切りますよ。

 

でね、この祠に小さい賽銭箱を置いてあるのだけど、この前これが取られちゃった。

そんな輩がいるんだ。私の頭を痛くする位の神様は、この輩にどんな罰を下すのか?

それとも、神様は、困っていると見たこの輩に与えちゃったのか?・・・・・・・・・・・   1月     


新年早々、厄介な事ばかり。オーストラリアの山火事、そして、中国からの変な風邪。

私は去年から、呼吸器が悪いからどうなることやら。明日は新宿の掛かりつけ病院だけど、街中にあんまり行きたくないねえ。

だって、咳が出るから気をつかうよね。今日も別の掛かりつけの病院に行く時、電車に乗ったら隣のおじさんがマスクもしないで、ゴホゴホ咳をしている、手で押さえもしない、だから席を立って移ったよ。でも自分だって同じ。

 

31日からの展示も無事に終わったし、5月の展への準備も皆さんのお陰で着々と進んでいます。

皆さんのお陰です!!                        2020年1月


2019年


早や師走。風邪気味は相変わらずだが、長い正月休み、ゆっくりと過ごします。12/16の月曜日は来年の個展に向けての準備をしていたので、画廊を開けていたら、ちょっと覘く方がおいでになったので、どうぞどうぞと中にご案内して作品を見て頂いた。

 

とても熱心にご覧に見られていた。聞くと、その方のお父様が足尾で短い間だけど働いていたとの事だった。お母さまも足尾近くの沢入(そうり)という所の出で、彼女もそこで育ったという。作品を見て、「ああ、こんな感じ、こんな感じ」とおっしゃられ、とても懐かしく当時の思い出を語られた。そして、数年前にその故郷を訪れたら、すっかり寂れていた、何もない、とも言っていらした。

お父様に是非画廊に来て下さいと申したところ、「父は足尾の仕事が辛かったのか、足尾の話をしない」との事。

足尾の歴史は長くて、いい時もあったけれど、辛く大変な時期も長かったのだから、そうだろうとも思った。

 

画廊を週3日しか開けないのに、こんな出会いがあるなんて、嬉しい。    2019年12月

 


9月も終わり。6月頃からの風邪がなかなか抜けなくて、8月も中旬からやっと新制作の作品に取り掛かかった。医者からは「一日1時間しか描いてはいけない、人混みに行くな」等々言われたけど、そうもいかない。来年の個展の準備もだんだん忙しくなり、9月中も10月も週に何日かは出かけなくてはならない。

今日30日は第3期の作品の展示替えがやっと終わる。若い人の力をいつも借りて行う。

                                     2019年9月


 

 思い出すままに

以前知り合いが、本で読んだって言うのだけど、足尾を調べている方が小滝抗あたりで調査をして、帰りがけに沢を降りていると「おーい、おーい」って悲しげに呼ぶ声がした、って書いてあったって。振り向いても誰もいないのに。                 2019年4月

 


去年の暮に、3月にも書いたけど、松木村で描くとき、お線香とお花を持っていったから、先週の日曜日にも描きに行った時はちゃんとお線香を持って行って、お供えしてから描いていた。

でね、今度は「チーン、チーン」って、鈴の音なんだよ・・・でも一回きりだったけどね。

                                      2019年4月


日光と足尾をつなぐ日足トンネル、あそこも私は嫌なんだね。冬一人で真っ暗なあのトンネルを走るとき、背中がゾクゾクする、今日は何人もバスで賑やかだから平気なんだけどね。

                                    2019年4月


何十年も前、生徒達を連れて日光に写生に行った時、「この日光の山の裏側には何があるのだろう?」と言ったら、「先生、知らないの!去年閉山になった足尾銅山があるんだよ」私は全くその時は足尾の事を知らなくて、「じゃあ、行こう」と行った。

 

行ってみて、心に響く光景。それから何度も通った。

 

ある冬に足尾の靴屋に「そんな靴じゃ駄目だよ、俺のところで靴を買って行け」と言われ、買ったのは長靴。この長靴でなければとても歩けない雪道だった。

 

それから、足尾に行く度にこの靴屋の親父さんにお世話になり、そこから足尾の人たちとの人脈が広がった。                               2019年4月


20代の頃、初めての個展は銀座のフタバ画廊。それから、みゆき画廊、ギャラリーオカベと続けてきた。みゆき画廊ではベイリィさんがいろいろな作家さんを紹介してくれた。

その繋がりの中で特に面白かったのは、たまたま旅行で一緒になった加藤治子。

 

ちょうど、ひどい風邪をひいて、入院までして、退院した時に絵描きの仲間に誘われてヨーロッパ旅行に行ったら、その中に加藤治子がいた。

 

私は彼女が大女優だと知らなくて、テレビに出てるでしょ、と言われても、テレビなんか見てないから、と言うと「私を知らないって人はあなたで二人目よ」と言われてしまった。

でもそれから、なんだかよくわからないけど、よく一緒にいろいろと出かけたりしたものだ。 2019年4月


家の敷地の祠は、1712年に、地域の護国豊穣を願ってここに造られた。あの頃はみんな農家だからね

2019年4月

 


うちのご先祖様は、村上水軍のいち兵隊だった、村上水軍って瀬戸内海の海賊ね。落ち延びて埼玉の草加で必死で働いて、農業やって野菜売って、その働きを認められて八百留という屋号をもらったんだ。2019年4月


草加生まれの私は、足尾に40数年絵を描きに通っているけれど、足尾がいい。こっちより足尾に行くと、とても落ち着きますね。草加にいるといろんな事を考えなくてはならなくて、

でも、足尾に来ると、気持ちがとても軽くなる気がして、ね。   2019年3月 

 


草加松原はとてもきれいな所。2019/03


長年、足尾に通っていますが、昨年暮れにこんな不思議な事がありました。

立ち入り禁止エリア(私は特別な許可を得てます!)、あたりには無縁仏の墓石らしきものがあちこちに倒れています。そこで1人で絵を描いていた時の事。背後や左右からカサコソと足音が・・・!!でも誰もいません。絵を描くのをやめると、その足音も止む。また描き始めると、カサコソカサコソと。

怖くなって慌てて道具をしまい、退散し、足尾市内の馴染みの喫茶店に行きこの話をすると、「よく今まで出合わなかったなあ」と。

帰りの車に乗った時から背中に何か重いものが憑いている感じ。家に帰り「今度はお花とお線香を持って参りますから」と言ったら離れてくれた。

 

後日談・・・約束通り翌月現地に行くと、またカサコソとやって来るので、持ってきたお花とお線香を供えて「お願いですからここで絵を描かせて下さい」と言うと何時の間にか離れていってくれました。 2019/03

 


昔の近所のスケッチ。もう今ではこうゆう建物は殆ど取り壊されている。     2019年2月